こりすのつぶやき

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<<   作成日時 : 2008/03/14 05:19   >>

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帰省した時、飛行機の中の雑誌にこういう記事がありました。

「パスカルの‘賭け‘が問いかけるもの」
「17cのフランスの数学者化学者思想家パスカルは、晩年、
読者をキリスト教に導こうとする執筆に専念していた」と言う事で、
ここでは「パンセ」と言う草稿から「賭け」と言う断章に触れています。
  (長いですが以下抜粋)
「賭け、とは、神様はいるかいないか。確率は1/2。
いる、に賭ければ死後永久の命が待っている、いないに賭ければ
何もないが、それはいない、に賭けて勝った時も同じ。
賭けない、と言う選択は許されない。
「君はもう船に乗り込んでいる」
「ぐずぐずせずに、いる、に賭けよ」

ライター曰く。以下抜粋。
「実のところ、いる、を期待する人生と、
いないと思う人生とでは質的な差がある。
前者は宗教が求めるおそらくは禁欲的な人生であり、
後者は何もとらわれる事のないいわば自由な人生だ。
神あり、に賭けるとは自己本意の気ままな生涯に代えて、
自ら教義の拘束を受けると決意する事に他ならない。
この世の自由を得るために「神なし」に賭ける事も、
一概に愚かな選択とは言えまい」

特に、神様がいるかいないかどちらかに賭けるつもりはないけど・・・
ライターの言う、「神様がいる、に、賭けるという事は禁欲的人生で
いないに賭けると何もとらわれない自由な人生」と言うのがふに落ちません。
ひとつは、「禁欲的」って、何も好きな事出来ないし自由じゃない、と言う意味?
神様がいる、に賭けても当然「好きなこと出来る自由な人生」な訳で。
誰かを助けたい、も、自由意思であり、
「I Want」と言う以上これも「欲」である、と私は思う。
(だからボランティアも欲でやる以上感謝されると不公平に感じます。
と言う訳で、私はお礼を言われる前に走って逃げるか、むすっとしてる、
やや難しいヒト・・・損な性格???(笑)
禁欲的ってひょっとして神父様の事か?(=生涯独身)と思うけど、神様を信じる、
と言うだけで通常、神父様、にならないし、独身って言うのも、
(私はどっちでも良いんだが)修行僧や瞑想する人なんかそうだけど、
異性はとかく集中しずらいのかなんなのか、長い歴史の中で、
経験的に独身がやりやすいってのあったろうし、
カトリック的には「仕える人は一人」と言う事だろうし、
とかくそれだけで禁欲的、というのもどんなもんかと。

もうひとつは、「何もとらわれない自由な人生」って、ほんとに自由なんだろうか。
アカシックレコードを読む人に、「個の人生、これだけはやっておかないと
いけない事、もしくは運命」みたいのを聞いた時、私には何のプランもない、
だから自由に好きな事をやって良い、と言われた時、愕然としました。
何にやっても良い、自由、って、厳しいよ〜〜〜〜
それに、人ってとかく規制や制限を作りたがるし、すれはすなわち
人はひとりでは生きられないからだと思うし。
「何もとらわれない自由」で「楽しい」人生が皆望みであるから、
規制制限を設けるのでは?
むしろそれは地球上一人になっても。
「何もとらわれない人生」って、
白い何もない真四角の大ホールに閉じ込められたような、
いつ太陽があがっていつ沈むか分かんない地球そっくりな惑星に来たような、
妙な・・・不安定な感じがします。

ちなみに「〜一慨に愚かな選択とは言えまい」の続き。
「しかしパスカルは、それでもなお、いる、を選ぶ方が、選ばないより
この世において既に(賭けの結果が分かる前に)幸福である、と言う。
現世の真の幸福とは「来世の生を望む事」であって「来世」ではないから。
来世の在否はいかにしても不可知であるから、賽がなげられる間、
神がいる事を、賭けに勝つことを祈り、それに値するように努力する事が、
すでに幸福である、とパスカルは言う。」

ライターは、この「幸福」を「希望」に置き換えれば、
私達の日常、普段している事ではないか?と言う。
「幸福とは不確定な未来に向けた希望に他ならない、と、
パスカルの主張を読み替える事が出来る」と、文をしめている。

私は来世は望んではいないけれど、パスカルに賛同する。
到達するよりそれまでの過程の方が幸せなのは
「目標」でもなんでも当てはまる事。
そう思うと、ここではライターにも賛同してしまう私でした。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
こりすさんこんばんはっ!
ずいぶんおもしろい記事をお書きになっていますね〜♪もちろん答えのない問いで、どう思うかは個人にゆだねられているものだと思いますが、「神を信じる」を選択すると必然的に禁欲的、っていうのにつながる事に疑問をもつ気持ちは激しく賛同です。もっといえば貧しければ精神が幸福、ボランティアに尽くし見返りを求めないことが精神の「美徳」か、となるとそう考えること自体が美徳じゃないですよね。
 うーん。 私、けっこう感謝とかされたい方で。別にお返しが必要とか、おもた〜い感謝とかが欲しいわけではなくって、「ありがとう!」って思ってもらえるような。そういう見返りはボランティアでも求めます。だって、そう思ってもらえる事に意味があると思うし。
 だから、結婚とかやりたい事をやってる時や、そういう幸せな時を送る事自体、それが質素だろうが豪遊だろうが、それは必要なことですよねvこれを味わうのと「自由」もつながらないことだと思うし。
ぶなしめじ
2008/03/19 20:38
こりすさん、つづき
こりすさんがおっしゃるように「なににもとらわれない自由がはたして自由か」って疑問、すっごい分かります〜。自由って幸せではないぞ、きっとv自由のために頑張ったりする「過程」が楽しいのかもしれませんね。だって、人と遊んでいるときも、ブログ書いているときも、つねに制限やら体力やらみっちり追われているわけでvどこをどう自由と取るかはその人次第だと思うけれど、本当に楽しんでいる人は、「私は今自由!」とは言わないと思うしvまた、楽しい事を知らない人はいつも自由を求めている気がします。けっきょく定義にかけられる自由ってなんなんでしょうね(笑)
 うぎゃぁ!こりすさんがおもしろいこと書いていたから、つい便乗しちゃって長くなりました〜、すみません☆
ぶなしめじ
2008/03/19 20:39
(笑)(笑)(笑)ね〜〜〜♪ぶなさまの言うとおり、これは答えのない問いで…と言うか、今私はこんな事言ってるけど、いつまた変わるか分かりゃしないネタですよね♪「感謝されたい」が目的なら良いんですよ〜〜〜それが自分を高揚させますしね♪ただ自分がやりたい事やってその報酬(お金でなく)を受けてさらに感謝される、と言うのは、不公平、と言うか余過剰分が出て、さてこれは経理的にどう処分するのか?みたいな…あああまた私はなんかの蟻地獄に入りつつあります…(笑)こういうのって考えだすとエンドレスですよね(#^.^#)明日も早いので私はもう寝ますvvv
ぶなさま
2008/03/19 21:06

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